高校野球に「根性」は必要?元体育教師が考える「根性」と効率化
テレビをつけると、自然と春のセンバツ甲子園を見てしまう。
甲子園は、もう季節の風物詩と言ってもいいのではないかと思います。
そんな高校野球を見ていて、最近ふと思うことがあります。
「昔に比べて、守備のエラーが増えているように感じるな」
もちろん、これはあくまで僕自身が試合を見て感じていることです。
データを調べたわけではありません。
本当に昔よりエラーが増えているのかは分かりません。
ただ、昔の高校野球を知っている人間として、そう感じる瞬間があります。
そして、そこから考えたのが、
「高校野球に、根性は必要なのだろうか?」
ということでした。
僕は幼い頃から野球を続け、高校までプレーしました。
その後は体育大学で学び、体育教師として生徒の運動を見てきました。
だからこそ、今の高校野球を見ながら思うことがあります。
「根性」と「根性論」は違う
まず、僕は根性論だけでスポーツを指導することには反対です。
「もっと走れ!」
「気合いが足りない!」
「苦しくても我慢しろ!」
そんな言葉だけで選手を動かす必要はないと思っています。
体罰や過度な長時間練習、身体の状態を無視した練習まで戻す必要もありません。
今のスポーツでは、安全性や効率、身体のコンディションを考えることが大切です。
ただ、
「効率化=苦しいことを避ける」
という意味でもないと思っています。
僕が必要だと思う「根性」は、
「苦しい状況でも、自分で考えて、もう一歩やってみる力」
です。
無理をすることではありません。
休むべきときには休む。
でも、まだできるのに、
「ちょっと苦しいからやめよう」
となるのではなく、
「もう少しだけやってみよう」
と思える。
僕は、そういう力はスポーツを通して身につけてもいいと思っています。
守備の「普通」を繰り返す意味
その中で、僕が特に大切だと思うのが守備練習です。
守備は、打撃ほど目立ちません。
ホームランのような分かりやすい結果もありません。
だからこそ、限られた練習時間の中で、
「守備練習にどこまで時間を使うのか」
を考えることは大切です。
それでも僕は、守備の地味な練習には意味があると思っています。
高校時代、練習試合で強いチームと対戦すると、
「なんで、このゴロを普通にアウトにできるんだ?」
と思うことがありました。
派手なプレーではありません。
普通のゴロを捕る。
正確に送球する。
そしてアウトにする。
それだけです。
でも、その「普通」が難しい。
何度も繰り返しているからこそ、試合でも当たり前のようにできる。
野球では、たった一つのアウトが試合の流れを変えることがあります。
だから僕は、効率化することと、地味な練習を続けることは矛盾しないと思っています。
大切なのは、
「何を、なぜ練習するのか」
を考えることです。
ただ苦しい練習を続けるのではなく、必要なことを理解したうえで繰り返す。
そこには、昔ながらの「根性」という言葉で表されてきた部分もあるのではないでしょうか。
大人になって分かった「地味なこと」の価値
これは、僕自身が大人になってから、より感じるようになりました。
大人になると、毎日が意外と地味です。
仕事をする。
面倒なことを片付ける。
誰かに褒められるわけでもないことを、毎日繰り返す。
人生で毎日ホームランを打てる人なんて、ほとんどいません。
むしろ、地味なことを積み重ねる時間のほうが長い。
だから高校スポーツを通して、
「目立たないことでも、丁寧に続ける」
という経験をすることには意味があると思っています。
スポーツの価値は、試合に勝つことだけではありません。
練習を通して、自分自身との向き合い方を学ぶことも、その一つだと思います。
「昔の高校野球に戻ればいい」わけではない
ここは、誤解してほしくないところです。
僕は、
「昔の高校野球のほうが良かった」
と言いたいわけではありません。
昔には昔の良さがありました。
一方で、改善すべき部分もあったはずです。
今の高校野球にも、良いところがあります。
練習の効率化。
身体のコンディション管理。
科学的なトレーニング。
安全面への配慮。
こうしたものは、これからも大切にしていくべきだと思います。
一方で、環境やルール、用具が変われば、野球の見え方も変わります。
僕は野球を長く見てきたので、
「同じ野球でも、環境が変わればプレーの景色も変わるんだな」
と感じることがあります。
だからこそ、
「昔に戻す」
でも、
「今のやり方がすべて正しい」
でもなく、
これからの高校野球に何が必要なのかを考えること
が大切なのだと思います。
根性か、効率化かではない
結局、僕は、
「根性か、効率化か」
という二択にする必要はないと思っています。
効率よく練習する。
身体を休ませる。
科学的な方法を取り入れる。
安全を守る。
これは当然大切です。
そのうえで、
地味な練習を続ける。
苦しい場面でも集中する。
最後まで諦めない。
あと一つのアウトを取りにいく。
そういう部分も大切にする。
つまり、
効率化した環境の中に、「もう一歩頑張る力」をどう残すか。
僕は、そこが大事なのではないかと思っています。
根性とは、選手を苦しめるためのものではありません。
指導者の言うことを何でも我慢して聞くことでもありません。
自分で考えて、
「もう少しやってみよう」
と踏ん張れる力。
そして、
「今日は休むべきだ」
と判断できる力。
その両方を身につけることが、本当の意味での成長につながるのではないでしょうか。
まとめ|高校野球に必要なのは「根性論」ではなく、考えて踏ん張る力
高校野球に「根性」は必要なのか。
僕は、必要だと思います。
ただし、それは昔ながらの根性論とは違います。
無意味な長時間練習を耐えることでもない。
苦しさを我慢することでもない。
必要なのは、
自分で考え、必要な努力を続け、苦しい場面でもあと一歩踏ん張る力。
そして同時に、
休むべきときには休む判断力。
効率化と根性は、必ずしも対立するものではありません。
むしろ、
「効率よく練習するからこそ、本当に必要なところでは最後までやり切る」
という考え方もできると思います。
昔の高校野球に戻る必要はない。
今の高校野球を否定する必要もない。
大切なのは、
「これから、どんな高校野球にしていきたいのか」
を考えること。
僕は、野球が好きだからこそ、そんなことを考えながら甲子園を見ています。
……まあ、元体育教師のヒトリゴトですけどね(笑)。
根性論ではなく、考えて踏ん張る。
そんな「根性」なら、高校野球にもあっていいんじゃないかなと思います。


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